一部プロフィールにもありますが、
ノイローゼ経験者でACで難病持ちの私が
今まで経験したACの事や旦那の借金返済の事や自分の病気の事など日々思う事をつぶやいていこうと思い初めました。
これまでこちら→kuro-mitsuでやっていましたが
その中で自分の想いや考え方も変わってきまして
新しい気持ちでこちらの改めて一からこちらのブログにつぶやいていこうと思います。
以前のブログ管理が
31年しか生きていない私なので
精神的にはまだまだヒヨッ子の域ですが
似た立場にいる方たちと色んな想いを分かち合えたらと思います。
これまでの私は自分自身を良く見せようと
意地を張って生きてきました。
周りの評価ばかり気にして、怖がってばかりいました。
常に常識人でなければと自分が普通じゃない事にコンプレックスを感じていたのです。
最近ですが、少しずつ普通でいられるはずかないと気付きました。
それは私が普通だと思っていた物は私が作り出していた幻想だったからです。
自分が作り出した幻想に怯えて、自分自身を殺してしまっていたのです。
正確には自分の感情を一生懸命押し殺してイイ人になろうとしていた。
ただあるがままに自分を表現できる様になりたいと思い始めました。
カッコワルイとされる事もみっともないとされる事も私の中にある悪も・・・。
そして慰めるとか共感するとか大事に思うとか、ちょっと恥ずかしくて出来なかった事も素直に出せる様になったら、どんなに素晴らしい事かって思います。
これからは思考ばかりで生きるのではなく
色んな事を感じて生きていきたい。
そして不安な事ばかりを信じてきた自分を反省しつつ
素晴らしい事を信じていける様な自分でいたいと願います。
みっち

↑ランキングに参加しています。クリック頂けると嬉しいです。
怒鳴りあって、父親が母親を殴りつけて。
忘れたいけど、ことある事にそのシーンが鮮明に
私の頭の中に蘇るのです。
母親の顔に残る無数の痣や
頭からダラダラと血を流すシーンが…。
父親はスイッチが入ると途端に罵声と暴力的な行為で
私と母親を恐怖に陥れた。
まだ幼い私にはその様は恐ろしく悲しいだけだった。
耐えかねた母親が家に警察を呼んだり
親戚に助けを求めたりしていたが平和が訪れる事は無かった。
当時、私の家では愛を感じられる事がこれっぽっちもない。
私は結婚しているが、正直に言うと家族愛だなんてものは未だにピンとこない。
◆アダルト・チルドレン(AC)とは何?
日本アダルトチルドレン協会より抜粋
アダルトチルドレン(AC)は、1980年代初頭、アメリカのアルコール依存症における臨床の中から生まれた言葉で、「アルコール依存症の問題を抱えた家族の中で成長した大人」(ACoA:AC of Alchoholics)を意味していました。しかし日本では、アメリカと比較すればアルコール依存症者の人口比率が低いせいもあって、私たちはこのAC概念を、ACOAも含め「機能不全家族の中で成長した大人」(ACOD: AC of Dysfunctional Families)の問題として捉えています。すなわちACとは、子供時代に主に親子関係の中で心の傷を受け、この心の傷が癒される時期が無いまま成長し、その影響で現在も“生き苦しさ”に悩んでいる成人を意味しています。
心理療法に通う様になってから
カウンセラーからACである事を指摘された。
ACは誰の心の中にも存在する事で
それを強く意識してしまっている人がなるらしい。
ACという言葉に囚われない様にと言われた。
私は幼い頃から歳を重ねるにつれて
絶対に親の様にはならないという思いを強くしていた。
自分自身でも、両親に対してだけ出される
この憤慨した気持ちは何なのかと思っていた。
何故こうも恨んでいるのかと。
以前インターネットでACという言葉を知った時に
私はACかもしれないと思ったが
それ以上どうしたら私自身の汚い気持ちから
自由になれるのか分からなかった。
そして、子供だった私を傷つけた親を絶対に許さないという思考と
親なんだからなんとか許したい、愛して欲しいという気持ちが
私の身体の中でゴチャゴチャになってしまった。
まず自分がACだと自覚する事から
色んな糸口が見つかるんじゃないだろうか。
そして溜まりに溜まったものを外に吐き出しながら
自分の矛盾に気が付いていけるのだと思う。
↑ランキングに参加しています。クリック頂けると嬉しいです。
私が気にさわるような事を言ってしまうと逆上して殴る。
机に頭を打ち付ける。皿やハサミが飛んでくる。
そうして父からの暴力という圧力で溜まったものを
外に吐き出していたのかもしれない。
でも当時の私はそれが恐ろしくて仕方がなかった。
私が高校に上がるまで八つ当たりは続いたと思う。
中学の時に叩かれている最中に首筋を強く引掻かれて
水ぶくれのが無数に出来た事があったが
友達に「どうしたのか?」と聞かれても
「猫に引掻かれた」と笑って流すしかなかった。
猫飼ってなかったけど(笑)
母は股関節脱臼をしていて神経過敏症。
私が物心ついた時には
「私は足が悪い」「神経過敏症だ」と口癖の様に言っていた。
だから幼い時がそれが特に問題のある事と思わなかった。
小学校低学年ぐらいから家の中が異様に汚かった印象が強い。
母が家事をしている姿をほとんど覚えていない。
友達が家にくると「足の裏が真っ黒になった」と言われ
汚いものを見るような目で言われたのがショックだった。
そして「みっちちゃんのお母さん嫌い」とか言われだした。
その頃から「あれ?やっぱり何か違うの?」と意識し始めた。
同時に母は一人で突然しゃべり出したり
(誰も居ないのに誰かとしゃべってる)
突然大笑いし始めたりする事が多くなっていった。
何を笑ってるの?と聞いても
「神経過敏症だから」とか「思い出し笑い」とか言われたと思うけど、当時の私にはそれは理解できなかった。
私はその光景を間近で見ているうちに
母親の事がとんでもなく恥ずかしい存在になってしまった。
友達から言われる事や自分が間近で見る母の姿は
私の目には「家事をしない怠け者の奇妙な母親」に映った。
周囲の大人達も同じ様な目で見ていた。
私は団地の1階に住んでいて
部屋の中に居ても、窓の外の世間話が聞こえたりした。
そして明らかに私の母親の事を言っているのが聞こえる時があった。
母親の悪口を言ってるんだ。と、落ち込んだ。
大人から見てもやはり母はやっぱり異様なんだ。
その娘の私は自分自身も恥ずかしい存在の様な罪悪感でいっぱいになった。
そして最終的には母を恨み出した。
なんでそうなの?なんで?なんで?なんで?
↑ランキングに参加しています。クリック頂けると嬉しいです。
さらに、「どうしてもっと前向きに楽天的に物事を捉えられないのか」と、自分で自分を苦しめる。
幼い自分が成長していく過程で身に付けたものだ。
今ではパターン化されクセになってしまっている。
だから直そうと思っても自然に、そこへ流されてしまう。
ひと言でACといっても、それぞれの成育家族の状況や、個々人のパーソナリティは異なるので、依存症の有無、暴力の問題の有無、鬱病や心身症など症状の有無、ひきこもり状態の有無、就労の可否、(自分が親の側になっての)子供との関係・・・等、具体的に誰がどのような困難を抱えているかは、必ずしも一様ではありません。
日本アダルトチルドレン協会「ACの問題」より
ただそうしたことの一方で、私たちACの多くが共通して持っている幾つかの問題があり、それには以下のようなものがあります。
・先取り不安と時間感覚の障害
まだ起っていない“悪い未来”への不安に縛られてしまう。また「自分の将来に待っているのは悪い未来ばかり」としか思えな い。
・見捨てられ不安
“良い子”の自分でいないと、好きな人から嫌われてしまうし、もう他の誰からも愛してもらえないと思う。
・マインド・リーディング
相手の言動や表情から「自分はイヤがられている」「私がこの人を不快にさせてしまった」などの“悪い答え”ばかりを引き出し てしまう読心術。
・承認欲求と愛されたい願望
「認められたい」「愛されたい」という他者への過度の欲求で、自分自身が混乱してしまう。
・テスティング
相手を困らせたり不快がらせる言動をわざとして、自分への愛情度を測る「試し行動」。
・親密感と距離感の問題
他者との関係が、くっつき過ぎか離れ過ぎかのどちらかになってしまい、互いにとっての適度な距離感が実感できないし、維持できない。
・対人恐怖
むしろ相手との関係が親密になってゆく過程で出て来る問題で、表面的な関係では極度な対人緊張 として感じる。
・自他の境界線の問題
他者の感情や行動上の問題に、自ら巻き込まれてしまう。また逆に自分の 感情や行動へ相手を巻き込んでしまう。
・白黒思考
「誰からも愛されている」か「誰からも嫌われている」か、そのいずれかだけというように、自分の中にいつも二者択一の選択肢しかない。
・完璧主義
白黒思考と似たオール・オア・ナッシング的な考え方で、「全ての準備」 や「成功への約束」が整わないと、“何もしない完璧主義者”になり易い。
・パワーゲーム思考
人間関係を「優・劣」「上・下」「勝ち・負け」の尺度で見てしまう。しかも多くの場合、自分が「劣」「下」「負け」側になっている。
・自己主張の問題
嫌なことを「イヤ」と相手に言えなかったり、正当な欲求や要求を「自分のわがまま」だと思い込 んでしまい、言葉にして伝えることが出来ない。
・責任感の問題
「この場をつまらなくさせているのは自分が居るからだ」など、過剰で不要な責任を感じてしまう反面、果たす必要がある責任を放棄してしまう。
・自分の感覚や感情への不確実感
「嫌だ」「好きだ」と感じた自分の感覚や、怒りなどの自分の感情に、「そう感じた通りで正 しい」という実感が持ちにくい。
怒りの感情と、その表現の仕方(伝え方)の問題
淋しさの感情 と、その感情との“つきあい方”の問題
問題自体の否認やコントロール欲求の強さ・・・など
しかしこれらは決して、あなたの性格や人格の“異常さ”や“未熟さ”の問題ではありません。「ダメな性格」などというものは存在しないのです.
性格や人格を“矯正”したり“変容”して「ふつう(以上)の人」になること、それが回復なのではありません。問題は私たちACが身に付けてしまっているこのような思考や行動のパターンが、自分自身を生き辛くさせていることに あります。
ただ、このような思考・行動パターンを身に付けたことを、自分のせいにする必要もまたありません。そうした思考や行動パターンの 原型は、機能不全家族の中で、あなたが生き残って成人してゆく時、選択の余地無く身に付けざるを得なかったものだからです。
いくつも自分の思考や行動パターンに当てはまる。
こうなってしまったって事を悔やむなら悔やむでいいし
この部分は直したいって思って努力するのもいいし
こうしなければ生きてこれなかったのだから開き直るのも良いと思う。
当時は選択する余地が無かったけれども
それはその時の必死な考えや行動だった。
今思うと悔やむ事ばかりかもしれないけど、自分を責める必要はない。
むしろとっても頑張って戦ってたんだな。と褒めてあげたいぐらいだ。
許せないなら許せないままで良いと思う。
許せない自分を責めることない。
私はとっても傷ついて、その事をうまく表現できなかったのだ。
淋しさ、悲しみ、怒り。
まっすぐにぶつけられなかった。
↑ランキングに参加しています。クリック頂けると嬉しいです。
そして今日もまた。
今日は朝から外出をして、お昼過ぎに自宅へ帰ってきたら、自宅前の駐車場に停めてある車がないっ!
私は早速「あれ?きよぽん(父)使ってるのかな〜」と、近くに住んでいる実家の父を疑った。
実家は車を所有していないので、うちの車をたまに使う。
なのでスペアーキーを前もって渡してあるのだ。
そして何かに付けて面倒見が良いというか、おせっかいが生きがいになっている父なので、車のメンテナンスを頼んでもいないのにしてくれる。
先日、車を使った時も、車検がどうのこうのと一人で騒いでいたので、すっかり有力な容疑者として私の頭の中に踊り出たのだ。
しかし普段使用する時は、何日も前から何回も連絡をしてくる神経質なので、少し不安になった私は携帯に電話をした。
私「もしもし〜、今日車使ってるの?」
きよぽん「使ってないよ」
私・きよぽん「・・・・」
(°Д°)はぁ?じゃあ、車はどこよ?
とりあえず盗まれたという結論に達し、電話口でゴチャゴチャと私を諭そうとする父を落ち着かせて、って内心は私が一番慌てていたと思うけど、電話を切った。
そして昼食を食べながら冷静になろうとした。
慌てても仕方がないと自分に言い聞かせている割には
煙草を吸いながら昼食を食べるという慌てっぷりだったけど。
パニクリながらも、盗難届けや保険会社に連絡をする前に、自宅の周辺を探してみようと私は外に出た。
そして数分後・・・
あっけなく車が見つかってしまった。
近所のスーパーの駐車場で・・・バタッ!!⊂⌒〜⊃*。Д。)-зヒクヒク
昨日の晩、買い物に車で行ったは良いが、歩いて帰ってきてしまった。普通に・・・。
朝、出かけた時に気付けよワタシ。
あんな10年以上乗ってるボロ車なんて盗まれねーよワタシ。
どんだけ抜けてんだよワタシ。
こんなスットコドッコイな私が書いてます(;・∀・)ダ、ダイジョウブ・・・?
↑ランキングに参加しています。クリック頂けると嬉しいです。
先生にバイトを始めた事を言うと
「良かったね」と親しみを込めた笑顔で言ってくださいました。
鬱の真っ盛りの時に転院した病院で主治医になった先生。
初日から厳しい言葉も遠慮なく言った。
当時の私には、先生とのやり取りが辛い場面が多々あった。
言葉のひとつひとつで傷つき、恐怖で顔色ばかり伺った。
でも今となっては、感謝の気持ちでいっぱいだ。
私の考え方が誤っている時は容赦なく叱りつけ
私が亀よりも遅い歩みでも前進すると、一緒に喜んでくれる。
いつも私と真剣に向かい合おうとしてくれていたんだ。
私が傷ついたと思った言葉も行動も私を思ってくれての事だった。
時が経って気付く事ってたくさんあるな。
血液検査では膠原病の数値は落ち着いている。
ただ、中性脂肪とコレステロールの数値が高い。
食事をコントロールしろと、毎回注意される。
プレドニンは副作用で食欲増進(糖代謝異常)するが、もともと食べる事が好きなので、さらに食欲増進されてしまう。
特に甘い物は、しょっちゅう食べたくなり、けっきょく食べる。
・・・徐々に少なくしていこう。
まず、夕食後に甘い物は食べない。
できるかな(;・∀・)
そして、プレドニンが1ミリ減って、10ミリになりました!!
とっても嬉しくて、先生から1ミリ減と聞いた時に、気持ち悪く(・∀・)ニヤニヤしていたと思う(笑)
そして話は変わって、今月から週1回ヨガに行ってます。
もちろん身体のためだけど、心のためという意味もある。
今、この世の中はヨガブーム真っ盛りだけど、是非ともこの癒しブームには乗っかる事をオススメします。
ヨガでなくても太極拳でも気功でも身体を通して心に繋がるモノは、精神をコントロールする事にとても役に立つと思う。
心に繋がるモノは、必ず「まず呼吸」だと思う。
以前の私は、このテの事はかなり信用していなかった。
それに、実際に思考が集中できない時に実践しても、すぐに癒される訳でもない。
日々の積み重ねが必要なところが大きい。
でも、諦めずに少しずつ積み重ねていけば、癒されると実感する瞬間が出始める。
私は気持ちが落ち着いている時でも、お風呂に浸かりながら、寝る前等にやっています。
だけど、ヨガなどもスタジオに行くのは、高額なレッスン料が必要になる。
そこで貧乏人に嬉しいのが、地区センターのカルチャースクールだ。
昔は教室の種類も少なかったが、今ではたくさんの種類の教室もある。
そして何より料金が安い。闘病中で収入が得られない人などには最適だと思う。
今日がそのヨガ教室でしたが、私は身体がとっても硬い。
行く前は、とても緊張していたが、無理せずに自分のペースで大丈夫という事が分かり、今は安心して通ってます。
↑ランキングに参加しています。クリック頂けると嬉しいです。
たぶんストレスだと思う。
体力も落ちているので、疲れる。
朝もこわばりが強くなった。
でも他には変わった事もないし、電車も乗れるし、細かい事は気にしない事にしておこう。
でも!無理しすぎないでいこう(・∀・)
今日は闇と光の続きです。
↓↓↓「闇と光◆廚和海を読むです。
起きた時に身体がとてもこわばってた。
フルタイムで働いていた時は、毎朝身体がすごい酷いこわばりで、ダルくてダルくて仕方がなかった。
そして久々のきついこわばりに、「懐かしいなぁ〜。」と思ってしまった自分がちょっと可笑しい。
バイトは3日連続までにしないと、疲れが貯金されてしまいそうだ。
今日は掃除やら洗濯やら、たまった家事をやろうと思ったけど、今アパートの外壁工事をしていて、雨戸を開けられないので諦めた。
窓を開けられないと、家の中に悪い気が溜まってしまうので、ちょっとブルーだ。布団も干せないし、早く工事が終わって欲しい。
だから、昼なのに家の中は暗くて、とてもじゃないけどリラックスできないので用事を済ませに直ぐ出かけた。
外に出ると気持ちい。
閉じられた世界にずっと居ると、リラックスできないよね。
以前はこんな事意識してなかった。
長期間入院したり、闘病で自宅に篭るしかなかったりしたから
外の世界(自然)のありがたみが意識できる様になった。

外の空気を吸って、風を感じたり。
日の光がとっても暖かかったり。
緑が茂ってるのを見たり、海の青さを感じたり。
とても気持ちが良い。それらを感じてると一瞬「無」になれる気がする。
今まで意識していなかった事がちょっと悔やまれたりもする。
そして、人間は自然と共存しなければ、生きていけないんだなぁと、つくづく想う。
それと同時に今まで、自然にありがたみを感じていなかった事を恥じる。
地球温暖化とか森林伐採とか色んな破壊行為について、見てみぬフリだった。
言葉ではエライ事になってしまう。とか言っておきながら、出来ることすらしようとしていなかった。
ゴミの分別をもっときちんとするとか、資源を無駄遣いしないとか、そんな事も出来てなかった。
少しずつ意識し始めたら、ゴミの分別を細かくする様になった。
そしたら家庭ゴミが以前より少なくなって、資源ゴミが多くなった。
今まで面倒だった事が、視点が違うだけで、ちょっと嬉しい事になった。
↑ランキングに参加しています。クリック頂けると嬉しいです。













